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鹿児島県の出身者・ゆかりのある人物

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鹿児島県の出身者や鹿児島県に ゆかりのある人物を掲載しています。
※出身地は現在の市町村などで表しています。

政治家・官僚

名前出没年出身地概要
出身者西郷隆盛

さいごう たかもり

1828年
~1877年
鹿児島市薩長同盟や江戸城無血開城などを成し遂げ、明治維新を成功させた薩摩藩士・政治家
出身者大久保利通

おおくぼ としみち

1830年
~1878年
鹿児島市薩摩藩士として明治維新を成功させると共に、明治政府では内務卿として大きな実権を握り、様々な改革を行った政治家
出身者寺島宗則

てらしま むねのり

1832年
~1893年
阿久根市明治時代初期に関税自主権の回復などの条約改正に尽力した政治家
出身者川路利良

かわじ としよし

1834年
~1879年
鹿児島市初代・大警視(現:警視総監)として、日本に近代警察制度を導入した官僚・帝国陸軍軍人
出身者三島通庸

みしま みちつね

1835年
~1888年
鹿児島県「土木県令」と呼ばれ、県令(現:県知事)として土木工事を進めた内務官僚
出身者松方正義

まつかた まさよし

1835年
~1924年
鹿児島市明治新政府で、日本銀行設立や金本位制の確立などを行った政治家
出身者村田新八

むらた しんぱち

1836年
~1877年
鹿児島市岩倉使節団の一員であり、西南戦争で自決した政治家・薩摩藩士
出身者黒田清隆

くろだ きよたか

1840年
~1900年
鹿児島市幕末には薩摩藩士として明治維新に奔走し、明治政府では内閣総理大臣になった政治家
出身者村橋久成

むらはし ひさなり

1842年
~1892年
鹿児島県「開拓使麦酒醸造所」(現:サッポロビール)を北海道に作らせるなど、北海道の開拓に携わった開拓使官吏
出身者西郷従道

さいごう つぐみち

1843年
~1902年
鹿児島市西郷隆盛の弟で、維新後の明治政府で、内務大臣や海軍大臣などを務めた政治家
出身者吉原重俊

よしはら しげとし

1845年
~1887年
鹿児島市初代日本銀行総裁となった幕末・明治時代の官僚・薩摩藩士
出身者森有礼

もり ありのり

1847年
~1889年
鹿児島市初代文部大臣として、新明治政府下で、教育改革を行った政治家
ゆかり加納久宜

かのう ひさよし

1848年
~1919年
東京都「日本農政の父」とも言われる政治家。鹿児島県知事として鹿児島の発展に貢献する
出身者折田彦市

おりた ひこいち

1849年
~1920年
鹿児島市旧制第三高等学校の初代校長となった官僚・教育者。毎年いたずらされる京都大学の銅像としても知られる
出身者前田正名

まえだ まさな

1850年
~1921年
鹿児島県農商務官僚や県知事として、明治時代の殖産興業を推進した官僚・実業家
出身者山本権兵衛

やまもと ごんべい

1852年
~1933年
鹿児島市大正時代に2度、内閣総理大臣となった政治家・帝国海軍軍人
出身者牧野伸顕

まきの のぶあき

1861年
~1949年
鹿児島市大久保利通の次男で、戦前に文部大臣・外務大臣などを務めた政治家
出身者東郷茂徳

とうごう しげのり

1882年
~1950年
日置市外相として、太平洋戦争の開戦と終戦に携わった外交官・政治家
ゆかり迫水久常

さこみず ひさつね

1902年
~1977年
東京都終戦時の玉音放送を起草した官僚・政治家。戦後、鹿児島選出の衆議院議員となる
出身者小泉純也

こいずみ じゅんや

1904年
~1969年
南さつま市小泉純一郎の父で、防衛庁長官などを務めた政治家
出身者小里貞利

おざと さだとし

1930年
~2016年
霧島市整備新幹線計画に関わり「ミスター新幹線」とも呼ばれるとともに、阪神・淡路大震災にあたっては震災対策担当大臣として復興支援にあたった政治家

武将・武士

名前出没年出身地概要
出身者島津義久

しまづ よしひさ

1533年
~1611年
日置市九州地方のほとんどを領地とし、島津氏の最盛期を築き上げた戦国大名
出身者島津重豪

しまづ しげひで

1745年
~1883年
鹿児島県造士館や天文館の設立を行うなど、文化・開化政策を行った薩摩藩主
出身者調所広郷

ずしょ ひろさと

1776年
~1849年
鹿児島市江戸時代後期に薩摩藩の財政再建を行った家老
ゆかり島津斉彬

しまづ なりあきら

1809年
~1858年
東京都幕末に公武合体を推進した薩摩藩主
出身者島津久光

しまづ ひさみつ

1817年
~1887年
鹿児島市幕末に薩摩藩を雄藩にした名藩主
出身者小松帯刀

こまつ たてわき

1835年
~1870年
鹿児島市幕末期に薩摩藩の藩政改革などを行った藩士・家老
出身者桐野利秋
(中村半次郎)

きりの としあき

1839年
~1877年
鹿児島市幕末の四大人斬りの一人で「人斬り半次郎」と呼ばれた薩摩藩士・陸軍軍人


(次ページに続きます)

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