新潟県の出身者や新潟県に ゆかりのある人物を掲載しています。
※出身地は現在の市町村などで表しています。
政治家・官僚
名前 | 出没年 | 出身地 | 概要 | |
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出身者 | 前島密 まえじま ひそか | 1835年~1919年 | 上越市 | 「郵便制度の父」と呼ばれる、明治時代の官僚・政治家 |
出身者 | 岡村貢 おかむら みつぎ | 1836年~1922年 | 南魚沼市 | 上越線の開通に尽力し「上越線の父」と呼ばれる、明治時代の政治家 |
出身者 | 細野正文 ほその まさぶみ | 1870年~1939年 | 上越市 | ミュージシャン・細野晴臣の祖父で、日本人唯一のタイタニック号乗客として知られる官僚 |
出身者 | 芳澤謙吉 よしざわ けんきち | 1874年~1965年 | 上越市 | 日ソ基本条約の締結などを行った外交官 |
出身者 | 北一輝 きた いっき | 1883年~1937年 | 佐渡市 | ニ・ニ六事件の理論的指導者と目された社会運動家・国家主義者 |
出身者 | 有田八郎 ありた はちろう | 1884年~1965年 | 佐渡市 | 1930年代後半、太平洋戦争に向かう中、何度も外相を務めた政治家・外交官 |
ゆかり | 蒋介石 しょうかいせき | 1887年~1975年 | 中国 | 中国・国民党総統で台湾を建国した政治家。20代のとき、第13師団高田連隊の野戦砲兵隊の隊付将校として、軍事教育を受ける。 |
出身者 | 田中角栄 たなか かくえい | 1918年~1993年 | 柏崎市 | 小卒から内閣総理大臣まで上りつめ「今太閤」と呼ばれた政治家 |
武将・武士
名前 | 出没年 | 出身地 | 概要 | |
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出身者 | 板額御前 はんがく ごぜん | 不明~不明 | 胎内市 | 鳥坂城で鎌倉幕府と戦った、平安時代末期・鎌倉時代の女性武将 |
出身者 | 上杉謙信 うえすぎ けんしん | 1530年~1578年 | 上越市 | 戦国時代に越後を支配した名武将・大名 |
出身者 | 新発田重家 しばた しげいえ | 1547年~1587年 | 新潟県 | 上杉家の家臣であったが、上杉景勝に反旗を翻した戦国時代の武将 |
出身者 | 上杉景勝 うえすぎ かげかつ | 1555年~1623年 | 南魚沼市 | 豊臣政権の五大老の一人で、米沢藩の初代藩主 |
出身者 | 直江兼続 なおえ かねつぐ | 1560年~1619年 | 新潟県 | 上杉家の家臣として、上杉謙信・上杉景勝に仕えた名将 |
出身者 | 堀部安兵衛 ほりべ やすべえ | 1670年~1703年 | 新発田市 | 高田馬場の決闘で名を馳せ、赤穂藩に仕えることになり、赤穂浪士四十七士の一人となった武士 |
出身者 | 松田伝十郎 まつだ でんじゅうろう | 1769年~1842年 | 柏崎市 | 間宮林蔵と共に樺太を探検した、江戸時代の幕臣 |
出身者 | 青砥武平治 あおと ぶへいじ | 1713年~1788年 | 村上市 | 鮭の回帰性を発見し、「種川の制」を行った村上藩士 |
出身者 | 河井継之助 かわい つぎのすけ | 1827年~1868年 | 長岡市 | 藩の改革を行うと共に、新政府軍と戦った長岡藩士 |
出身者 | 小林虎三郎 こばやし とらさぶろう | 1828年~1877年 | 長岡市 | 「米百俵」の逸話で知られる長岡藩士 |
軍人
名前 | 出没年 | 出身地 | 概要 | |
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ゆかり | テオドール・エードラー・フォン・レルヒ ておどーる・えーどらー・ふぉん・れるひ | 1869年~1945年 | スロバキア | 日本で初めて本格的なスキー指導を行ったオーストリア=ハンガリー帝国の軍人。上越市でスキー指導を実施した |
出身者 | 及川古志郎 おいかわ こしろう | 1883年~1958年 | 新潟県 | 海相として日独伊三国同盟に賛成し、太平洋戦争中は軍令部総長として海軍を指揮した帝国海軍軍人 |
出身者 | 山本五十六 やまもと いそろく | 1884年~1943年 | 長岡市 | 太平洋戦争で、連合艦隊司令長官として、真珠湾攻撃やミッドウェー海戦などを戦った帝国海軍軍人 |
出身者 | 本間雅晴 ほんま まさはる | 1887年~1946年 | 佐渡市 | 太平洋戦争で、第14軍司令官として、フィリピン攻略戦などを指揮した帝国陸軍軍人 |
出身者 | 五十嵐恵 いがらし めぐみ | 1889年~1927年 | 上越市 | 美保関事件で殉職した駆逐艦「蕨」の艦長である帝国海軍軍人 |
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コメント
有名な人物をたくさん知れてよかったです。